インターネットにつながらないので。。。
- 2015/09/28
- 14:32
9月28日(月)
朝イチで「インターネットにつながらないので見てほしい」と相談を頂きました。
てっきり、
ルータまわりの接続・配線かと思って、ご訪問したところ、ネット接続は問題なくできていました。
しかし、マルウェア系が無数に入っていて、とてもインターネットの閲覧などできない状態。
代表的なマルウェアを5つほど目視で駆除し、ツールを走らせて怪しいファイルを走査したところ1500件超。久ぶりの大漁!
も~う、嬉しくなりますよね。
メモリ常駐型、IME変更型、自動送信型、プラグイン型。
とにかく出てくること。
1時間半ほどで駆除し終わり、Skypeのインストール・設定を終え、作業を終了しました。
今回のお客様は視覚障害をお持ちのお母さん。
このお母さん、糖尿病のため40歳ごろ・3番目のお子さんを出産後に視力が急激に低下し、現在はかろうじて見えてはいるけれども、将来は目が見えなくなる病だそうです。
目が見えるうちに、パソコンで音声読み上げやショートカットでのパソコン操作を習得したい。
ほんとうに前向きなお母さんで、僕自身、人として大変勉強になる時間でした。
知識として「知っている」ことと、
自分の身で経験したうえで「理解する」ことの違い。
糖尿病、言葉としては僕も知っています。
でも「糖尿病による失明」は話では知っていましたが、実際に経験された方を目の前にしたとき。
パソコンのユーザ・アクセシビリティ機能。
キーボードの使いやすさ。
音声読み上げ機能の重要さ。
Skypeをはじめとした、情報伝達のためのツールの大切さ。
いずれも「視覚障害をお持ちの人の視点」で「真剣に」考えたことは、僕にはありませんでした。
お経に書かれている言葉を、自分自身が経験し、経験を踏まえて理解することを、この身で読む「身読(しんどく)」というそうです。
今日、私は目を閉じながら、キーボードと音声読み上げだけでパソコンを操作しました。
慣れ親しんだOSならまだしも、OSが変わったとき。
その時は操作できるだろうか?
考えされる経験でした。
連綿と続く人の営みの中で、誰ひとりとして同じ人はいません。
僕の「当たり前」は、僕だけの当たり前であり、他の方には、他の方の「当たり前」があります。
宮沢賢治
雨にも負けず
全体の幸せを求めなければ、個人のほんとうの幸福もありえないと。
仕事を通して、気づく機会があります。
ほんとうに有難うございました。
最後までご覧くださいましてありがとうございます。